<学校と命>子どもを守る覚悟問う


河北新報様
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 東日本大震災の津波で児童・教職員計84人が犠牲になった宮城県石巻市大川小を巡る訴訟で、仙台地裁は26日、子どもの命を預かり、守る覚悟を学校に求める判決を言い渡した。2年7カ月に及ぶ訴訟や関係者の証言から教訓を探る。(報道部・斉藤隼人、畠山嵩)

◎大川小津波訴訟の教訓(1)備え
<耳を疑う証言も> 「校長、教頭が何も決められず、学校をまとめられない。教育委員会は判決を真摯(しんし)に受け止め、実力本位の人事をすべきだ」 勝訴判決後、長男と長女を失った原告の鈴木義明さん(54)が記者会見で訴えた。 あの日、児童は約45分間、校庭で待機させられた。「なぜ、子どもが死んだのか」。震災から5年7カ月、毎日、問い続けてきた遺族は教育者としての資質にまで踏み込み、検証を続けてきた。 地裁で4月8日にあった証人尋問のやりとりに、遺族は耳を疑った。 証言したのは大川小の元校長で、地震発生時は不在だった柏葉照幸氏。 「万が一、大川小まで津波が来たら山に逃げるしかないかな、と話した」 柏葉氏は、震災の2日前と1カ月前の2度、津波を想定し、教頭や教務主任と協議した事実を認めつつ、「万が一は言葉の中での話」と釈明した。 遺族側の弁護士が「『万が一』を考えるのが校長の役割ではないか」とただすと、原告席の遺族は柏葉氏に厳しい視線を向けた。 2009年4月に大川小に着任した柏葉氏は、市教委の指示で10年度の危機管理マニュアルに津波対応を盛り込んだ。ただ、避難場所は標高1メートル程度の低地のまま。「十分考えた上での安全計画ではなかった」と認めている。
<対策の不備 免責> 訴訟で、遺族側は「教員はマニュアルを適切に改訂し、津波対策をする義務があった」と主張。市側は「津波到達は想定できず、教職員に求められる水準は満たしていた」と反論した。 09年4月に施行された学校保健安全法は、災害などに備えたマニュアルの策定や研修など「事前の備え」を学校に強く求めた。判決は法の趣旨に触れつつ、「行政も想定外だった」などとして事前対策の不備を免責した。 京都精華大の住友剛教授(教育学)は「学校現場は『詰め詰めの弁当箱』状態で、防災が入る隙間はない。教育委員会は、命を守る対策に十分時間を割くべきだ」と提言する。 「地震から津波到達までの51分間や3.11前に、子どもたちを救う手掛かりはなかったか。徹底的に考えてほしい」 兵庫県の小中学校の新任教員40人が8月25日、大川小を訪れ、語り部の言葉に耳を傾けた。 命の現場と向き合い、教員としての覚悟を問う-。同県教委は本年度、新任研修に東北の被災地視察を取り入れ、大川小は必ず立ち寄っている。 「命あってこその教育。被災地・兵庫は学力向上はもちろん、全国一の防災教育に努める」と担当者は言う。 大川小で語り部を続ける原告遺族の只野英昭さん(45)が警鐘を鳴らす。 「大川小に来るのは宮城県外の教育関係者ばかり。宮城県や石巻市の教育委員会は全く触れようともしない。これでは悲劇を繰り返す」

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