2018/06/18

松末小への避難者は今 おびえた一夜胸に一歩 九州豪雨1年

氾濫する川のイラスト
西日本新聞様
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あの日、福岡県朝倉市杷木星丸の松末(ますえ)小の校舎3階に、肩を寄せ合い、不安な一夜を過ごした避難者たちがいた。幼児、小学生からお年寄りまで約50人。昨年7月5日の九州豪雨で、濁流が2階にまで迫る中、励まし合い、全員が「奇跡的に助かった」(当時の校長)。被災から1年。あの日の体験を胸に、それぞれ一歩を踏み出した人たち。豪雨で環境は変わっても、気持ちは松末とともにある。

■子どもたちに寄り添う 保育士の吉田さん、池辺さん

 子どもたちの元気な声が響き渡る園舎から、山肌に残る大きな爪痕が見える。山あいの松末小から車で約10分下った杷木保育所。所長の吉田千代さん(58)と主任保育士の池辺明美さん(45)もあの日、園児2人と松末小に避難した。

 当時は同小近くの松末保育所に勤務。道路に濁流があふれ、おやつの残り、おむつ、絵本など持てるだけの荷物を持って駆け込んだ。「預かってるお子さんを、とにかく無事に保護者の元へ」。真っ暗な教室で震える園児を抱き、それだけを考えた。

 翌日の昼、パトカーの待機場所までの川のような道を、朝出発した小学生たちに続いて歩いた。土砂に押しつぶされた家々を目の当たりにし「子どもたちはどんな思いだろうか」と、池辺さんは涙があふれた。

 松末保育所にも裏山の土砂が流れ込んだが、大きな被害は免れた。半年間の休所を経て、今年1月に再開した際、園児たちと絵馬を作った。自宅をなくした男児(4)は「家をつくりたい」と願いを書いた。被災後、言葉が出づらくなったり、雷の日は登園できなくなったりした子もいた。「あの日の体験を自分もしたからこそ、寄り添える部分がある」。吉田さんはそう思う。

 松末保育所は3月末、再び休所し、2人は杷木保育所に異動した。松末保育所には、園舎に風を通すため、時折足を運ぶ。「いずれ松末に若い人が戻ったとき、やっぱり保育所がないと」。2人は今も、松末も子どもたちも大好きだ。

■安全な山林づくり模索 林業の梶原さん

 林業を営む梶原大源さん(49)が、松末小から乙石川沿いに約3キロ上流の集落の家にいた母(79)から「蔵が流れた」と連絡を受けたのは、あの日の昼だった。当時、隣市にいて車で向かったが、濁流で進めず松末小に避難せざるを得なかった。蔵だけでなく家も小屋も全壊。幸いにも母は壊れた小屋の隙間にいて何とか無事だった。

 林業に就いたのは、子どもの頃から慣れ親しんだ山が好きだからだった。山林管理に懸命に励んできたが、未曽有の雨により所有林の一部も崩落した。九州豪雨では大量の流木が被害拡大の一因とされ、「人工林管理 行き届かず」と林業の課題を指摘する報道にうなだれた。

 間伐すれば補助金は出るが、間伐材が木材価格を引き下げる側面もある。林業の担い手は減り、伐採と造林がうまく循環していないことは、当事者としてよく分かっている。「お金は回っても、山が回っていない。間伐が正しいのかどうかも分からない」

 それでも、あの日を経験した者として、自分なりの答えを見つけたいと思っている。どうすれば林業が成り立ち、地域の安全につながるのかということを。

■離れても復興見届ける 85歳の高倉さん

 松末に生まれ、松末で結婚した高倉俊子さん(85)は、夫を亡くしてからは築約70年の家に1人で暮らしていた。畑を耕し、山の神様を掃除し、月に1度は地域のお年寄りと踊りや体操を楽しんでいた。そんな「当たり前の生活」が、一夜で一変した。

 松末小で眠れぬ夜を過ごした翌日、数十分かけて避難場所まで歩きながら、変わり果てた古里の景色に心を痛めた。「自宅がなかごたる」。血圧が上がり、間もなく入院した。昨年のお盆に被災後初めて松末を訪れ、更地になった自宅跡を見て声を失った。

 今は福岡県大野城市で次男家族と暮らし、生活に安らぎが戻った。近くに友達はいないが、被災後に携帯電話を持つ友達が増え、おしゃべりするのが楽しみだ。「地域を出た人も、残った人も、みんな寂しいのよ」

 外出は減り、体力が落ちた。最近は膝も痛めた。介護認定申請のため、5月に住民票を大野城市に移した。ただ、膝が治れば積極的に外に出るつもりだ。「古里復興を、元気で見届けたい」

=2018/06/18付 西日本新聞朝刊=

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