「保育所はうるさい」「建てるな」の議論は昔からあった?

外の騒音を気にする人のイラスト
ダ・ヴィンチニュース様
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保育所が足りないなら、保育所をたくさん建てればいい…というものではない。地域から「保育園はうるさい」「地価が下がる」、だから「建てるな」という声が噴出するケースがあるからだ。国の宝といわれる子どもたちの根幹を育てるのが保育である。「保育園はうるさい」「だから建てるな」という人たちは狭量なのだろうか。「むかしは『保育園がうるさい』という人はいなかった」という声があるが、本当なのだろうか。

 近年、保育に限らず、子どもに関する議論が過熱しているのは、背景に少子化問題があり、子どもの存在がますます重視されているからだ…と考えてしまうのは、どうやら短絡的のようだ。

「人は、悪いことはすべて、つい最近始まったと思うもの」

 と述べるのは、『歴史の「普通」ってなんですか?(ベスト新書)』(パオロ・マッツァリーノ/ベストセラーズ)。本書によると、保育所を巡る議論は、少なくとも1970年代からあった。例えば、1975年9月9日付の朝日新聞(東京版)では、ズバリ「子どもの声は“騒音”か」という大きな記事が、賛否の意見付きで掲載された。

「保育園がうるさい」という意見の正当性はさて置き、本書が言いたいのは「保育園がうるさい」という議論が、事実として“昔からあること”だ。著者は、これをツイッターで紹介すると、「現代人は自分勝手になった」「昭和の頃は貧しかったが心は温かかった」という意見を掲げている人に逆ギレされることに戸惑っている。

 本書によると、1975年の事例はレアケースではない。この頃、保育所の建設反対運動は少なくとも東京都内各所で起こっており、区や市で紛争や訴訟が頻発していた。

 保育所を歓迎しない声があるのは、当時から。大家は家や部屋を保育園として貸せば汚される、壊される、近所迷惑になる、といい顔はしなかった。園側としては、きれいな物件は貸してもらえないし、保育所の利用者が低所得層であるため利益はほとんど出ず、家賃の安いボロ家に落ち着く。「金持ち相手の幼稚園、貧乏人相手の保育園」というイメージがあった、と本書は述べている。

 このイメージが、時代を超えて保育所新設反対派の意見に反映されている場合がある。昔も今も同じである。これを知らず、あるいは無視して、「むかしは『保育園がうるさい』という人はいなかった」「むかしの地域は絆があって、社会全体で子どもを見守っていた」と事実のように持論を押し付ける人を、本書は「歴史を見ずにきれいごとを並べる人」と断罪している。歴史を知ることで、水掛け論から脱却できる可能性がある。
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