被虐待児のその後、乳児院の「究極の待機児童」たち

TBS NEWS i
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 今月は「児童虐待防止推進月間」です。
赤ちゃんの頭を激しく揺さぶるといった行為は、
たとえ一瞬であっても子どもに重い障害を残す可能性があります。
虐待で傷ついた子どもたちを支える施設を取材しました。

 東京都内にある乳児院。親元で育つことの出来ない子どもたち70人が暮らしています。

 「つっぱりがなかなか取れないね」(小児科医 今田義夫 施設長)

 20年近く施設長を務める今田さんは小児科の医師。
数多くの虐待の後遺症を抱えた子と向き合ってきました。
生後、数か月で、ここに来た女の子。目が見えていないといいます。

 「今の反応から見ると、(目は)ほとんど見えていない。
力も入らないので自分で動けない、座れない、寝返りできない。
食事から全て介助が必要な段階」(小児科医 今田義夫 施設長)

 赤ちゃんの頭は激しく揺さぶられると脳のまわりの血管や神経が引きちぎられ
重い障害が残ったり、死に至ることもあります。
女の子は寝たきりの状態が続いています。
けいれんを頻繁に起こすため、職員は目を離すことができません。

 「3歳、4歳になってますので、(揺さぶりは)小さいときの出来事ですね。
数秒間、数十秒間が一生を決めてしまう。
(Q.家庭復帰は?)希望はもちろん捨てているわけではないですけども、
難しいかもしれません」(小児科医 今田義夫 施設長)

 4割以上の子どもが虐待を理由に入所してきます。
この乳児院は全国でも珍しく病院に併設されているため、
病気や障害の程度が重い子が多く、
職員は3交代・24時間体制で診つづけなければなりません。

 「ご飯、もうごちそうさまだ」(看護師)

 「1対1の対応がどうしても必要になってきますから、
手がいくらあっても足りない感じですよね」(小児科医 今田義夫 施設長)

 この女の子も「揺さぶられ」、一時、視力を失いかけましたが、
視力や運動能力を取り戻しました。
しかし、家庭復帰は簡単ではありません。
かつては家庭に戻した子が再び虐待を受け亡くなったことも・・・。
家庭に簡単に帰せない中で、「受け入れてほしい」という依頼は後を絶ちません。

 「多いときには1日数件(依頼が)来ることもありますけど。
(Q.虐待を受けた子?)そうです。
全例をお引きうけするわけには残念ながらいかないんですけど」
(小児科医 今田義夫 施設長)

 さらに悩ましいのが次の受け入れ先がないことです。
乳児院は、もともと2歳未満の子のための施設ですが、
ここには10歳近くに達した子もいます。
障害児専門の施設は満杯状態でなかなか移れず、
障害のある子には、養父母や里親といった引き取り手もほとんど現れません。
『ここには「究極の待機児童」がいる』と今田さんは話します。

 「どうしても待たざるを得ない。
“究極の待機児童”という言葉がそこから出てくる。
ただ単に施設を増やせば済むわけでもないと思いますし、本当に難しい問題。
家庭にいる子どもたちと同じような光を当ててほしいなと思いますね」
(小児科医 今田義夫 施設長)

 子どもたちにとって、ここは最善の場所ではない。
そう思いながらも、今田さんは子どもたちを支え続けています。(07日14:55)
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