大川小津波訴訟 遺族「学校が子どもを守るのは当然…」


毎日新聞様
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「学校が子どもを守るのは当然、司法で確認したに過ぎない」
 想定を上回る津波でも、学校は児童を守るべきだったと司法が明確な判断を下した。東日本大震災で多数の児童、教職員の命が奪われた宮城県石巻市立大川小学校の津波訴訟。「悲惨な過ちを繰り返さない」。原告遺族は26日の判決を前向きに評価しながら、学校の防災体制の検証を今後も続けると誓った。【百武信幸、本橋敦子】
     「未来の命につながる判決。死んだ子は生き返らないが、事故を防ぎ次の命を守れば、生きた証しになると思って……」
     大川小6年だった長男大輔さん(当時12歳)を亡くした今野浩行さん(54)は、仙台地裁前で涙を浮かべた。
     今野さんは原告団長として訴訟の先頭に立ってきた。大輔さんも含め子ども3人を津波で奪われ、夫婦げんかが絶えないこと、子どもが欲しくて不妊治療を受けていることも打ち明けてきた。勤務先の電気設備会社も提訴2カ月後の2014年5月、「迷惑を掛けられない」と退職した。
     今も大輔さんの同級生の言葉が耳に残る。「大ちゃんたちは山に逃げようと泣きながら訴えていた」。今野さんは「あの日に戻り、助けられたら。せめて一緒に死んでやりたかった」と悔やむ。
     会見では「想像できるでしょうか。死ぬかもしれない恐怖の中で死んだ子どもたちのことを」と訴え、「命を預かる学校が子どもを守るのは当然で、司法で確認したに過ぎない。本当の検証作業は裁判が終わってからと覚悟している」と言い聞かせるように語った。
     同じく会見に臨んだ遺族も学校防災への思いを語った。3年だった長男の健太さん(当時9歳)を亡くした佐藤美広(みつひろ)さん(55)は「親としてやってきたことは間違いではなかった。教員になる人は、子どもを守る覚悟を胸に判決を心に刻んでほしい」と語気を強めた。
     5年だった次女の千聖(ちさと)さん(当時11歳)を亡くした紫桃(しとう)隆洋さん(52)は「娘は救えた命だったと改めて感じた」と話す。一方、危機管理マニュアルの具体化など防災体制の過失は認められず、「なぜいち早く避難できなかったのか、これから本当の検証が始まる」とかみ締めた。
     また、市教委が生存児童の聞き取りメモを廃棄したり、同市の亀山紘市長が遺族説明会で「自然災害における宿命」と発言したりし、遺族が「事後にも傷つけられた」と主張した学校側の対応の責任が問われなかった点にも不満が残る。6年の長男堅登(けんと)さん(当時12歳)を亡くし、4年だった長女巴那(はな)さん(当時9歳)の捜索を続けている鈴木義明さん(54)は「遺族が苦労したことも重くみてもらいたかった」と悔しさをにじませた。
     原告以外の遺族もこの日、法廷で耳を澄ませた。「亡くなった先生を責められない」「当時のことを考えるのはつらい」。訴訟に参加しなかった理由はさまざまだ。6年だった次女みずほさんを亡くした佐藤かつらさん(51)は「学校は児童の命を守るものという当たり前のことを、やっと言ってくれた」と話した。
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