地元幼稚園長、母の訴え 私が継ぐ


毎日新聞様
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親子2代、最高裁で意見陳述へ
 厚木基地(神奈川県大和市、綾瀬市)の周辺住民が米軍機と自衛隊機の飛行差し止めなどを国に求めた「第4次厚木基地騒音訴訟」の上告審で、地元幼稚園の園長、山口繁美(しげよし)さん(69)が原告を代表して31日に法廷で意見を述べる。亡くなった母スエ子さんも第1次訴訟の原告として1992年に最高裁で意見陳述していた。自衛隊機の一部飛行禁止を初めて命じた1、2審判決の維持を求める山口さんは「母が意見を述べた24年前に戻すわけにいかない」との強い思いで法廷に立つ。
10月中旬、運動会の練習をしていた園児たちの上空に「ゴー」という音が響いた。基地の北約2キロ、滑走路の延長線上にあり、離陸したばかりの自衛隊機がすぐそばに見える。「自衛隊機の騒音に慣れてしまった園児もいる。米軍機の音はもっとひどく、成長に影響がないか心配だ」。園児を見守る山口さんがつぶやいた。
 山口さんは93年5月に82歳で亡くなったスエ子さんから原告を引き継いだ。最高裁は同年2月の1次訴訟判決で、住民側を全面敗訴とした東京高裁判決を破棄し、審理を差し戻していた。旧大和町議、市議を8期務め、騒音問題に取り組んだスエ子さんはいつも支援者に囲まれていた。「それまで関心はなかったが、母の姿を見てきたので裁判を続けるのは自然だった」
 差し戻し後の高裁判決(95年12月)は騒音被害への損害賠償を認め、山口さんは住民の力で司法を動かせることを知った。ただ、飛行差し止めを求めた母たちの訴えは最高裁に93年判決で却下され、判例となって全国の基地訴訟に影響を与え続けてきた。
 山口さんら住民約7000人は2007年、横浜地裁に4次訴訟を提訴。14年5月の地裁判決は米軍機の差し止めは認めなかったが、自衛隊機の夜間・早朝の飛行を初めて禁止した。2審も大筋で結論を支持したものの、双方が上告、最高裁で弁論が開かれることが9月に決まった。
 「お母さんも法廷に立っていました」。山口さんは弁護士との打ち合わせで、スエ子さんが92年11月に意見陳述した新聞記事を見せてもらった。「爆音は本当に耐え難い。助けて下さい」。24年前の母の言葉には今も変わらない重みがあった。
 最高裁は米軍機の飛行差し止めは審理の対象から外し、自衛隊機に争点を絞った。山口さんは「母たちの活動が下地となり、自衛隊機の差し止めが認められるところまで来た。最高裁は司法が何をできるのか、はっきり示してほしい」と期待する。【島田信幸】
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