「幼い命」救おう 幼稚園・保育園、被災対策見直し進む


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東日本大震災では、宮城県石巻市で
幼稚園バスが津波にのまれて園児が亡くなるなど、
幼稚園や保育園も被災した。
小学生より足が遅く、大人の手助けなしに避難することが
難しい幼児を、いかに早く安全な場所まで連れていくか。
高知県の各園では避難場所や方法の見直しが進んでいる。

2歳児以下を受け入れている高知市鷹匠町2丁目の
市立たかしろ乳児保育園では、
保護者会が避難車1台の寄贈を決めた。
幼児8人が乗れる大型の乳母車で、
価格は約15万円と安くはないが、山本博永・保護者会長(31)は
「地震はいつ来るかわからない。
日常的に備えをしておいて欲しかった」と話す。

同園では5月から、44人の園児全員を避難車に乗せたり、
大人がおんぶしたりして、近くの市たかじょう庁舎へ
避難する訓練をしてきた。
しかし同園にある避難車は4人乗り、8人乗り、10人乗りが
各1台、2人乗りが4台だけだった。
全員を運ぶために1台の避難車に定員を超えて幼児を乗せすぎると
「重さでスムーズに押せなくなってしまう」と園長(59)。
避難車を増やすにも「市の予算化を待つのは時間がかかる」として、
保護者会に寄贈を依頼したという。

南国市では東日本大震災以降、
市内に19カ所ある幼稚園や保育所のうち11カ所で、
避難場所を園内から園外の高台などに見直した。

3~6歳の約120人が通う同市緑ケ丘1丁目の
あとむ幼稚園もその一つ。
同園は海岸から約1.2キロ、標高約9メートルにあり、
現在の市の想定では津波は到達しない。
しかし想定外の津波に備えて、
園から北へ約350メートル離れた高台へ逃げる訓練を始めた。

3月下旬の初回の訓練は、園児に知らせず
抜き打ちで実施したため、3、4歳の園児の中には
非常ベルに驚いて立ちすくむ子や
泣き出す子、パニックになって違う方向へ走ってしまう子がいた。
「いきなり『走って逃げるよ』と言っても難しい」と
同園の教頭(31)は振り返る。

現在は避難コースに慣れてもらおうと、
訓練の数日前から「お散歩」をかねて
3、4歳児を連れて避難経路を1、2回は歩くようにしている。
途中には坂道や分岐があるが、教頭は
「最終的には、先生たちに何かあったら、
自分たちで行きなさいと言えるようにしたい」と話す。

1~5歳の38人が通う同市前浜の市立大湊保育所は
東日本大震災後、避難訓練に加えて靴を正確に早く履く訓練を始めた。

海岸から約800メートル、標高約3.8メートルの同所は、
約200メートル北の市立大湊小学校へ走って逃げる訓練をしてきた。
揺れが収まってから全員が小学校にたどり着くまで約7分。
さらに短縮するにも走る速さに限度がある。
普段子どもたちが裸足で過ごしている同所は、
靴を履くのに時間がかかっていることに着目した。

訓練は、地震の揺れが収まった後の場面から始まる。
保育士の「靴を履いて逃げましょう」というかけ声を合図に、
裸足の子どもたちが一斉に靴の面ファスナーをはがし、
足を突っ込み始める。両足とも履くと立ち上がって
部屋の前に並び、保育士がかかとまでしっかり履けているか、
面ファスナーで固定されているかを確認する。

これを3回、時間を計りながら繰り返す。
9月15日の訓練では、1、2歳児が約1分、
3~5歳児が約30秒かかった。
所長(58)は「大人は1、2歳児に付きっきりになるかもしれないから、
年上の子は自分で早く正確に履けるようにしたい」と話した。
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