いつもなら入園式なのに… 被災幼稚園、50年の歴史に幕


河北新報
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東日本大震災で園舎が流され、
休園していた岩手県陸前高田市の私立高田幼稚園が、
再建の見通しが立たず、
約50年の歴史に幕を下ろすことになった。
8日には津波の犠牲になった園児6人の
追悼法要が隣接する浄土寺であり、
遺族や当時の園児と職員、保護者たちが冥福を祈った。

高田幼稚園は1963年、
園長の浄土寺住職菅原瑞秋さん(53)の祖父が、
保育所に入れない子どもらのためにと、
私財を投じて開園した。
陸前高田市では唯一の幼稚園で
ピーク時に200人以上が在籍したが、
少子化の影響で震災前には53人と、
定員の140人を大きく下回る状況が続いていた。
震災当日は午前保育で園児6人は
園外で津波にのまれた。
園舎は津波で流失し、寺も激しく被災。
休園し、法人だけが存続している状態だった。
壊滅的な被害を受けた市内では、人口流出も加速した。
菅原さんは「子どもの数など、
いろいろな条件がかみ合わない。
思いがけない事で閉園するのは非常に残念」
と唇をかみしめる。
8日の法要で、菅原さんは
目に涙を浮かべながら読経。
「つらいから」と遺影は飾らなかった。
参列者は子どもたちの早過ぎる死を悼み、手を合わせた。
8日は例年、入園式の日だった。
菅原さんは「本当なら、みんなと小学校に行ったり、
幼稚園で遊んだり。いろんなことを一緒にするはずだった。
いつかいつか(法要を)と思っていたが、
やっと今日を迎えられた」と声を震わせた。
集まった子どもたちには「幼稚園で暮らしたことを忘れず、
どこでもきちんとあいさつができる子になってほしい」と、
園長として最後の言葉を贈った。 
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