子どもの小遣いは家の手伝いと結びつけるべき?


THE WALL STREET JOURNAL
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子どもたちにお金の価値を教える最善の方法は何か。

この問いは長年、親たちを悩ませてきた。
ほとんどの親は定期的に渡す小遣いを、
子どもたちにお金を管理し、
賢く使って賢くためる方法を学ばせる手段としてきた。
しかし親の中で、また家計に関する専門家の間で、
次の問いに対する見解は分かれる。
子どもたちの小遣いを
家の手伝いと結びつけるべきだろうか?

ウォール・ストリート・ジャーナル(WSJ)は
専門家2人の見解を仰ぐため、
電子メールによるディスカッションを行った。

小遣いは家の手伝いを根拠にすべきだと主張するのは、
「子ども金融ネットワーク」の創立者、ニール・ゴドフリー氏だ。
同ネットワークは金銭に関する基礎能力を
身につけさせることを目的とした企業だ。
一方、家庭に焦点を当てた金融アドバイスを行う
ガロ・コンサルティングの共同創立者、ジョン・ガロ氏は、
小遣いは家事の手伝いとは関係なく
渡されるべきだとの見解を持つ。

以下はディスカッションの抜粋。

家の手伝いと選択

WSJ:ニール、なぜ子どもの小遣いは
家の手伝いに基づかなければならないと考えるのか。

ゴドフリー氏:子どもにお金の自然な出どころを
学ばせるのが重要だ。
つまり、お金を手に入れる唯一の方法は稼ぐこと。
一生を保障してくれる社会保障制度はない。

お金のために働かなくてはいけないとなれば、
お金を稼ぐことがどれだけ大変かということを理解し始め、
期待をこめていうなら、それに感謝するようになるかもしれない。
もしかすると奇跡すら起こり、
父親と母親がお金を稼ぐために
必死に働かなくてはならないことを理解し始めるかもしれない。

ガロ氏:社会保障を受けるような子どもたちの育成回避には賛成だ。
しかし子どもたちには労働倫理も身につけてもらいたい。
責任感と成功させようという気力だ。

私は両親が家の手伝いを2つのカテゴリーに分けることを勧める。

家族全員のことに関する手伝いは、
子どもが家族の一員であるから行う手伝いであって、
小遣いはもらえない。
その代わり、達成感を報酬として得ることで、
労働倫理の育成の一助となる。

加えて、親は子どもたちがお金を稼ぐことのできる
追加的な仕事のリストを作成することができる。
それはたとえば洗車など、他の人にやってもらったときには
通常、お金を支払うようなものだ。
この追加的な仕事は子どもたちが、
労働に対して感謝することと、
お金を稼ぐには仕事をしなければならないことを
理解する助けとなる。

ゴドフリー氏:家の中には2つのタイプの手伝いがある。
「家の住人」として報酬のない家事と、
「給与のための仕事」だ。

「家の住人」としての家の用事は個人的なものだ。
たとえば、歯を磨く、自分のスペースをきれいにしておく、
おもちゃを片づけるなどだ。

一方、「給与のための仕事」は家のなかの“すべての”家事だ。
例えば、テーブルのセッティングや洗濯などだ。
これらの仕事は週単位で給料が支払われる。

「家の住人」としての用事は“良い行い”であり、
仮に実行されなければ、その罰も
テレビを見る権利を奪うといった
行動に関するものでなければならない。
「給与のための仕事」がなされなければ、
当然、給与はない。

ただ、親が他の人に頼めば
お金を支払うような仕事に限定することだ。
家族は全員、家事をすべきであるし、
家庭を運営するために必要な生活スキルを学ぶべきである。

何が大切か?

WSJ:ジョン、追加的な仕事をすることに対して
小遣いを払うことが良いのなら、
なぜ家の手伝いを根拠に小遣いを渡すのは良くないのか。

ガロ氏:小遣いと家の用事は目的が違う。
小遣いはお金の管理と、
目先の欲望をコントロールする方法を学習させる一助となる。
一方、家の用事は労働倫理の育成に役立つ。
追加的な仕事に対して、
お金を支払うことは健全なメッセージを
子どもたちに送ることになる。
つまり、お金とつらい仕事は結びついているということだ。

子どもたちが自分たちの家の用事をしなかったからといって
小遣いを渡さないのは、
あまり健全ではないメッセージを送ることになる。
つまり、お金は誰かを罰するために
使われることがあるというメッセージだ。

仮に子どもたちが家族のための用事をしなければ、
それには当然の結末がなければならない。
しかし、その結末は小遣いに関わりがあってはならない。
つまるところ、問題は小遣いにあるのではなく、
子どもたちが家の用事をしなかったという点にあるのだ。

報酬や罰則として金銭を使うことは、
子どもをお金にコントロールされるような
大人にしてしまう可能性を高める。

子どもたちが従わなかったり、
家の用事をしなかった場合に
もたらされる結末はなければならない。
しかし私は、子どもたちがお金の使い方を
誤っている場合にだけ、罰としてお金を使うことを勧める。

仮にあなたの娘が、家族のための用事として、
寝る前にディッシュウォッシャーの中を
空にしておくはずだったとしよう。
しかし娘がそれをしなかったとして、 
小遣いをとりあげるのはやめよう。
娘はお金の使い方を誤っているわけではなく、
家族の一員としての公平な分担をしなかったのだ。
ならば、翌朝に30分早く 起こして、
ディッシュウォッシャーの中を空にさせれば良い。

ゴドフリー氏:私はお金が人を「コントロール」できるとは思わない。
お金自体は良くも悪くもない。
使う人がお金をコントロールするものだ。

お金は使う人に選択肢を与える。
私は子どもたちに自分たちのお金を稼がせ、
自分たちに選択させ、それらの選択から学んでほしい。

仮に子どもたちが、後で不要になるものを買ったとしても、
それは彼らが予算と目標を立てることにおいて、
価値のある勉強をしたということだ。
それを買うためにどれだけ大変な思いをしたか
ということも学ぶことになる。
お金が唯一仕事からしか得られないことを
学習するのは重要なことだ。

私はジョンのように、子どもたちに単にお金をあげることはしない。
子どもたちには仕事で得てもらいたい。
仕事の大変さを理解し、
プライドを得ることは価値あるレッスンだ。

ガロ氏:私が何もしない子どもにお金をあげていると思っているなら、
それはニールの誤解だ。

小遣いには目的がある。
それは責任あるお金の管理と、
目先の満足感を得ようとする衝動を
我慢することを学ばせることだ。

子どもたちには報酬なしで家族のための用事をすることを期待するが、
それは彼らが家族の一員であり、
家族の資産を共有しているからだ。

個人的な意見だが、その資産には小遣いも含まれる。
何もしないのに子どもたちにお金をあげたいからではなく、
責任あるお金の管理を学ばせたいからであって、
それには管理するお金が必要だ。
だから追加的な仕事を用意しているのだ。
もっとお金が欲しければ、
子どもたちは稼ぐことができる。

WSJ:ジョン、もし子どもたちが必要なければ、
追加的な仕事をしなくても済むくらい、
小遣いを十分に与えるべきか。
それとも小遣いは少額にしておいて、
お金のために働くことを鼓舞すべきか。

そしてニール、家の手伝いをしなかったときに失う
(与えられない)額の大きさを
子どもたちに分からせるために、
小遣いは比較的高い金額にすべきか。

ガロ氏:私たちの本のコンセプトは、
親がそれまで買ってきた子どもの物品について、
その責任を親から子どもに移すために、
小遣いを利用するということだ。
同時に子どもにはさらに他の物も買えるように、
追加的な仕事をする機会を与えるのだ。
責任を移すことで、子どもは購入の選択、
代替案、結果に関して考えることを学ぶ。

ゴドフリー氏:私は子どもの年齢と同じ金額の小遣いを週単位で渡す。
たとえば10歳なら毎週10ドル。
少なすぎれば、計画を立て、お金を貯めることはできないし、
多すぎれば、仕事をしてお金を稼ぐことが
どれだけ大変なことかを学ばせていないことになる。
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