天国のゆいちゃんへ届け はなちゃんの思い


msn産経ニュース
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 「ここに来れば会える…」。
東日本大震災で大きな被害を出した
宮城県山元町の沿岸部近く。
この町に住む岩佐羽奈(はな)ちゃん(7)は
毎週日曜日、通っていた幼稚園の献花台を訪れ、
津波の犠牲になった親友の「ゆいちゃん」に
メッセージを書き続けている。
大震災は11日に1年8カ月を迎えるが、
小さな心に友達への変わらぬ思いを抱き続けている。
(写真報道局 大里直也)

 「10・28 ゆいちゃん7さいのおたんじょうびおめでとう?
 ぷれぜんとこんどもってくるね」。
献花台のノートに幼い文字が並ぶ。
一文一文が目の前の友に語りかけているようだ。

 羽奈ちゃんとゆいちゃんは、
家族ぐるみの付き合いで入園前からいつも一緒だった。
周りに男の子が多い羽奈ちゃんには
近所で女の子遊びができる唯一の友達。
「ずっと仲良しでいるんだろうな」。
周囲の大人はそう信じていた。

 が、笑って過ごす日々は一瞬で変わった。
あの日、海岸から約1・5キロ内陸の
幼稚園も津波が襲い園児8人、職員1人が犠牲に。
ゆいちゃんは園庭の送迎バスに避難したが
車両ごと濁流にのまれ、数日後、
変わり果てた姿で見つかった。

 この時、羽奈ちゃんがいたのは海から離れた病院。
予防接種を受けるため早退していた。
いつも通りなら、ゆいちゃんと一緒に
バスに乗っていたかもしれない。
生死を分けたのは「単なる偶然」だった。

 幼稚園に献花台ができた昨夏以降、
羽奈ちゃんは毎週、足を運んでいる。
「年が年だから、どういうふうに受け止めているのか…」。
父親の竜治さん(33)も、
その小さな心のバランスを複雑な思いで見守る。

 今年4月、羽奈ちゃんは小学生になった。
新しい友達が増え、新鮮な出来事が続く毎日。
「学校は楽しいよ」と少しはにかむ。

 環境の変化や時間は、震災の記憶を薄れさせていく。
それでも、忘れられない人や、思い出がある。
ここに来れば、ゆいちゃんに会える。
「ゆいちゃんがいたらいいなって時々思う」とポツリ。
送り続けたメッセージは60通を超えた。

 吹き抜ける風が冬間近を思わせる11月4日の日曜日も、
羽奈ちゃんは思いをノートに記した。
「きょ(う)も、さむくなってきたね。」。
雲間から顔を出した西日が小さな背中を優しく照らしていた。
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