子どもの思い出の場「保存」 閉店駄菓子屋、資料館に


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 自宅の庭のプレハブ小屋を使い、
11年にわたって駄菓子屋を営んできた中央市西花輪、
長谷川毅さん(72)が、昨年10月に閉店し、
店の雰囲気が味わえる資料館として保存した。

 長谷川さんは「駄菓子は売らなくても、
子どもたちの思い出の場所はずっと残しておいてあげたい」
と話している。

 ふ菓子にきな粉あめ、イカの酢漬け――。
広さ6畳の小屋には駄菓子のほか、
アニメキャラクターのお面やメンコ、
火薬で音が鳴るおもちゃの鉄砲などが所狭しと並ぶ。
保存が利かない駄菓子類はカラー写真を飾り、
開店時の様子を忠実に再現した。

 長谷川さんが駄菓子屋を始めたきっかけは、約30年前に遡る。
当時小学生だった2人の娘と甲府市の実家に帰省した際、
自分が幼い頃に通った駄菓子屋を見つけた。
わずかな小遣いを握り締め下校中に寄り道した記憶がよみがえり、
「あまりの懐かしさに感動した」という。

 帰りの車中で、娘たちに「会社辞めたら
駄菓子屋やってみれば」と勧められ、
子どもたちの憩いの場を作ってあげようと決断。
定年退職した2001年2月、物置になっていた
プレハブを片付けて改装し、約9か月後に
60歳で駄菓子屋を始めた。

 その後は、放課後の午後3時過ぎになると、
子どもたちが集まって来る光景が日常になった。
ポケットから10円、20円と、小銭を出して
駄菓子を買う姿は「自分の幼い頃と重なって、
童心に帰らせてくれた」。
長谷川さんに四つ葉のクローバーをそっと渡してくれた子や、
店のテーブルで手紙を書いてくれた子もいた。

 東日本大震災後には、店に来た子どもに
「募金したい」と言われ、急きょおもちゃの箱で
募金箱を作ったことも。
営業するのは「70歳までの10年間」と決めていたが、
子どもたちが見せる笑顔に後ろ髪を引かれ、
予定より1年遅れの閉店となった。

 資料館として残すのも、30年前の感動があったからだ。
「ここに来ていた子どもたちが将来、
実家に戻った時にでも立ち寄ってくれれば」。
そんな思いを胸に今後も土日のみ、
資料館となった店に座り続ける。
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