宮城・山元幼稚園バス被災 6園児遺族が提訴 仙台地裁


河北新報
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 東日本大震災で、宮城県山元町の私立幼稚園のバス2台が
津波に巻き込まれ、車内に避難した園児8人と
教員が死亡した事故で、園児6人の遺族が26日までに、
園側の対応に安全配慮義務違反があったとして、
園の経営者や教員に対し、計約2億5000万円の
損害賠償を求める訴えを仙台地裁に起こした。
 幼稚園や保育所の震災犠牲者の遺族が施設側の責任を問う訴訟のうち、
原告に加わった家族数は今回が最多とみられる。
 訴えによると、2011年3月11日の地震発生後、
園児51人は教員の誘導で園庭に集まった。
雨が降りだしたため、そばに止めてあった
大型バスと小型バスの2台の車内に避難した。
午後4時ごろに園に津波が到達、2台とも押し流された。
 大型バス内では大半の園児が非常ドアからバスの屋根に脱出したが、
教員の1人が乗降口を開けて
一部の園児を車外に押し出したため、7人が溺死した。
小型バスは近くの民家まで流され、
園児らは2階に引き上げられたが、
適切な処置をされず、1人が衰弱死した。
 原告は、亡くなった園児のうち大型バスに避難した5人と
小型バスに乗った1人の両親。
(1)津波襲来の危険性を予見できたのにラジオなどで情報収集せず、
園児を園庭に待機させ、避難させなかった
(2)大型バスで園児が溺れる可能性が高いのに
乗降口を開けて外に出した
(3)民家に逃れ、衰弱した園児を事実上、放置した
-などと訴え、事実関係の解明を求めている。
 園側は「遺族には誠意を持って対応してきた」と話している。
 津波では保護者に引き渡され帰宅した園児3人も死亡。
園は11年8月に再開し、昨年8月に新しい園舎が完成した。

◎「事実を明らかにして」

 「子どもたちの死を無駄にしたくない。
園側は事実を包み隠さず明らかにしてほしい」
 仙台地裁に提訴した遺族たちは切望する。
 今月下旬。5歳で亡くなった宮城県南の
男児の自宅に複数の遺族が集まり、遺影に手を合わせた。
 男児の母親は「人を喜ばせるのが好きな優しい子だった。
お菓子が一つしかなくても『ママにあげる』とくれた」と思い出を話した。
父親は「園側の行動がちゃんとしていれば、
結果は変わったのではないか」と悔やむ。
 女児=当時(6)=の将来の夢は幼稚園の先生だった。
両親は、卒園式で配られる予定だった文集で夢のことを知った。
 父親は娘が先生と写っている写真を捨てられない。
「先生を恨みたい気持ちもあるが、
写真に『大好き』とか書いてあるのを見るとね」と葛藤を口にする。
 震災当日の2011年3月11日の夜。
女児の安否が確認できない中、
父親は妻に電話で「園は安全だから。
子どもは高台か避難所に避難させられているから大丈夫」と伝えていた。
父親は「なぜ迎えに行かなかったのか」と自分を責める。
 震災当時、園側はどう対応し、なぜ多くの犠牲者が出たのか。
園から自発的な説明の機会はなく、
遺族側の要望に応じる形で実現した。
 遺族側が疑問点をぶつけないと回答は出ず、説明も変遷した。
園側の対応者は理事長や園長ら一部にとどまり、
教員が大型バスの乗降口を開けた経緯など不明な点が多く残ったという。
 遺族側は当初、園側に和解案も示したが、断られ、対話が終わった。
 別の女児=当時(6)=の父親は
「一番おかしいのは、原因が究明されないのに園が再開されたこと。
園側が誠意ある対応をしてくれれば、
訴訟にはならなかった」と打ち明ける。
 遺族側は「私たちの時は、あの日で止まっている。
園側は『津波が来ることは予見できなかった』という結論で片付けず、
本当は何があったかを正直に話してほしい」と訴える。
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