教育問題は大人に問題がある? 大人が子供に"本当にしてあげるべきこと"とは

4人家族・親子のイラスト(カラー)


ハフィントンポスト
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子どもを危険から守りたい。
そう思う親心は当然のもので、子どもが安全に暮らせる地域や社会をつくることは、大人の大切な役目のひとつです。
しかし、その責任感がいきすぎると、
子どもの可能性や考える力を摘み取ってしまう原因になってしまうかもしれません。
ここ数年で、学校教育の現場では体罰が問題になり、
公園からは遊具が減りました。
日本ではモンスターペアレントという言葉が社会問題となり、
アメリカをはじめ、ドイツなどの諸外国では"ヘリコプターペアレント"という、過保護、過干渉、子離れできない親の存在が問題視されています。
ヘリコプターペアレントとは、頭上を旋回するヘリコプターのように子どもに寄り添う親のことを表した言葉です。
※モンスターペアレントは、学校などに対して自己中心的かつ理不尽な要求やクレームを入れる親の事を指します。
子どもを守るのは大人の役目です。
でも、なにが危険で、それはどうやったら回避できるのか、
そういったことを教えるのも大人の役目なのではないでしょうか。
人生のストーリーを投稿するWebサイト『STORYS.JP』に、
ある一風変わったお父さんのストーリーが投稿されています。
『新しい経験をする、親は子供に対してそのチャンスを与えるべき』
うちの父親は少し変わった人でした。性格や見た目が変わっているとか変人という意味ではなく、世の中の少し先を考えている様な感じの人でした。
 
例えば、今から40年近く前に「これからの男は料理ぐらいできないとダメだ」と言ってナイフとりんごを子供に渡し、りんごの皮むきを練習させられたり、
「自分で使う道具ぐらい自分で管理できないとダメだ」と小刀と砥石を渡され刃物研ぎの練習をさせられたり、
今でもすごいなと感心するのはパソコンがまだ高価で各家庭に一台なんて夢のまた夢、と言う様な時代だった今から30年ほど前にパソコンを購入し、僕たち兄弟にパソコンの勉強をさせてくれたことです。
当時はNECのPC-88シリーズが全盛期でちょっと複雑なことをする人がPC-98シリーズを買うと言った中で、「お前たちはPC-88やPC-98を買うとゲームばっかするから」とシャープが出した「X-1 Turbo」と言う当時最新の機種を購入し、家族みんなでパソコン(Basicのプログラミング)を勉強したことです。
親父の目論見通りというか、成長した兄貴と私は二人とも料理好きで、包丁研ぎもすればパソコンも使いこなすという大人に成長しました。
特に兄貴はパソコンにはまりSEとして仕事をしていた時期もありますし、私の方は刃物研ぎにどっぷりはまり一時期小学校から家に帰ると毎日小刀の刃研ぎを1時間くらいするという人間になりました。
(このため、この小刀は与えられて3年後くらいに研ぎすぎで刃がなくなってしまうのですが)
また、親父は仕事での転勤が多く、西日本ばかりでしたがいろいろなところに行きました。
ここでも親父流の考えがあり「住んだ土地の物を、土地の人と同じ様にして食べる」と言う考えのもと、行った先々でいろいろな食べ物を食べる様になり、本当にいろいろなものを食べることができました。
この経験はその後海外で生活をすることになる私にとって、「現地の人が食べているものであれば、お腹を壊すことはないはず」という、なんとも安楽的な考えにたどりついてしまい、結果行った先々のスタッフにいろいろな場所のいろいろな料理を食べることにつながっていくのですが。
自分が父になって思った、情報を増やしてあげるということの大切さ
自分も大人となり、晩婚でしたが子供もでき、その子供が成長していく中で考える様になったのは、
子供の可能性は無限大に広がっているので、出来れば何でもいろいろ経験させて自分に合うこと、自分が興味を持てることを探すために、いろいろなことを見せてあげたいということです。
子供のとき、特に小学校低学年くらいまでは、自分で得られる知識というものは微々たるもので、小さな情報の中でしか生活していません。
だから、いろいろな場所に行ったり、いろいろな遊びをしたり、いろいろなものを見たりすることで、子供が得られる情報を増やしてあげることが親の仕事の一つなのでは?と考える様になりました。
それは別に良いことばかりではないです。
例えばこれは嫁と未だに揉めますが、私は死んだり一生残る様な大きな怪我でなければ、膝や手を擦りむいたり、頭にたんこぶを作っても別に構わないと思っています。
さすがに本当にやばそうな状況であれば子供を止めますが、少々のことであれば子供が痛い思いをするのを黙って見る様にしています。
そうすることで子供自身「こういう事をすれば痛い思いをするんだ」と言う事を学んでくれるからです。
実際にあった、経験することで学ぶこと
実例をあげると子供が2〜3歳くらいの時に、あったかい鍋を食べていると湯気が出ているのが珍しかったのか、食事中に何度も鍋を触ろうとしてその度に嫁が止めるという事を繰り返していました。
さすがにまだ中身がグツグツ言っている様な状態では大怪我になるのでしばらくは触らせない様にしていたんですが、鍋の中身も減ってきて鍋自体も大怪我しないレベルになった頃合で嫁が台所に立ったタイミングで、子供が鍋を触ろうとするのをワザとに放置していたことがあります。
当然子供は熱くて大泣き。嫁は側にいた私が子供をちゃんと見ていなかったと非難轟々でした。
けれど、それ以降は「これは熱いから触っちゃダメ」と言えば、鍋であろうと他のものであろうと絶対に触らない様になりました。
親が「これは熱いからダメ」と言ったものは危険なんだという事を、実際に経験することで子供がきちんと理解したんだと思います。
子供に教えることは良いことも悪いこともキチンと経験して学んで欲しい、そういう機会をいろいろ作ってあげることが私が子供にしてあげたいことです。
守るだけではなく、教えること。学ぶ力をつけること。
「百聞は一見にしかず」ということわざがありますが、
まさに子育てや教育もこの通りなのではないでしょうか。
言葉でしか痛みや経験を知らないと、体感的な対面をしたときにどうしたらいいのか分かりません。
知らないうちに他人に向けてしまうかもしれません。
これは危ない。これも危ない。
そうやって危ないものを排除するだけでは、
どうしてそれは危ないのか、どうやって対処したらいいのか、
子どもが自分で考える力をつける機会までも排除してしまいます。
いつまでも親が子どもの身の回りをサポートすることはできません。
自分たちが居なくなった時に、子どもが自分で危険を判別できないことの怖さを危惧するべきではありませんか?
恐さと厳しさ、怒ることと叱ることは違います。
甘やかすことと優しく接することも違います。
子どもたちを守るだけでなく、守る存在がいなくなったときでも、きちんと自分で自分を守れるように、いろんな情報をきちんと教えてあげること。
私達大人がすべきことは、守るだけでなく教えることなのかもしれません。
(文=STORYS.JP編集部・阿部仁美)
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