ホーム転落死事故の品田さん、視覚障害と闘い幼稚園長 子どもたちを包んだ愛


東京新聞
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◆「優しい心忘れないで」 誕生日の悲劇
 「やさしいこころをわすれないで」。東京メトロ銀座線青山一丁目駅で転落し、電車にはねられて亡くなった世田谷区の品田直人さん(55)は、視野が狭まる病気と闘いながら、出身地の北海道で幼稚園の園長を務めていた。初めて送り出した卒園生には、こんなメッセージを寄せていた。敬虔(けいけん)なキリスト教の信者で、子どもらへの優しさにあふれる人生だった。 (藤川大樹、唐沢裕亮)
 十七日、自宅近くの教会で告別式が営まれた。参列者によると、知人や友人ら百人近くが訪れ、品田さんをしのんだ。全員で賛美歌を合唱し、長男と勤務先の代表者が思い出を語った。
 関係者によると、品田さんは北海道の高校で数学の教員を務め、宣教師として家族でフィリピンに滞在したこともある。二〇〇六年四月、知人の推薦で北海道江別市の幼稚園の園長に就任したが、当時既に、病気で視野が狭まっていた。
 園児や保護者にトイレットペーパーの芯を見せ「僕の視野はこの程度しかない。みんなにぶつからないよう、気を付けるから」と話していた。「筆で書いた卒園証書を渡したい」と書道教室にも通った。だが、病気の進行は早く、二年ほどたったころ「この仕事を続けるにはさまざまな支障がある」と自ら退いた。
 〇七年三月の卒園文集には、「みんなのえがおではげまされ、げんきなこえからいっぱいちからをもらった」「やさしいこころをわすれないでいてくださいね」とつづっている。
 その後も、子どもたちにかかわりたいとの思いは変わらなかった。市や親の要望を受け、幼稚園がある教会の二階に、小学校低学年の子どもたちを放課後に預かる学童保育を設置。今も五十七人が通っている。
 五年ほど前、行動範囲を広げたいと、札幌市の盲導犬協会から盲導犬を借りた。最初の犬が病気になり、一四年春に現在のワッフル号と交代。協会に「ワッフルと出会えて良かった」と喜びを伝えるほど信頼していた。
 今年三月、娘の進学に合わせて世田谷区に家族で転居してきた。四月から障害者の自立を支援する企業で事務を担当。事故は十五日夕、勤務先に近い青山一丁目駅で起きた。盲導犬と駅のホームを歩いていて転落した。帰宅途中だった。
 埼玉県川越市の知人の男性(72)は「仕事に慣れてきたと聞いた直後だった。本当に残念」と声を詰まらせた。事故があった日は品田さんの誕生日だった。
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