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豊田市猿投で1966年12月、保育園児たちの列にダンプカーが突っ込み園児ら11人が死亡した事故から50年を迎えた15日、慰霊祭や遺族らによる法要が営まれた。参列者は事故を振り返りながら、子どもが巻き込まれる悲しい交通事故をなくそうと訴えた。(黒岩宏行)
事故は66年12月15日朝、園児たちが通っていた同市越戸町の越戸こども園(当時・越戸保育園)の前を通る国道153号で起きた。8トンの砂利を積んだダンプカーが別の車に追突し、2台とも園児ら約50人の列に突っ込み、園児10人、保育士1人が死亡、22人が重軽傷を負った。ダンプの運転手の居眠り運転が原因だった。
慰霊祭は、亡くなった園児10人と保育士が遊ぶ像を刻んだ「交通安全誓之碑」の前で行われ、園児や保護者、遺族ら約250人が参列した。杉浦三枝子園長が「小さな命を守っていきたい」と日々の交通安全の大切さを語りかけた後、献花が行われた。
当時、園児で車の下敷きになって右足骨折の重傷を負った同市猿投支所長の藤井美彰さん(54)は「小さなランドセルがクッションとなって助かった。病院で泣きじゃくるたくさんの声を忘れることはできない」と振り返った。オートバイで通行中に事故に気づき、救助にあたった同市の元消防士松井俊彦さん(69)は「救急車が少ない時代で、通りかかったマイクロバスが園児たちを乗せて病院に運んだ」と語った。
この後、遺族らによる法要が近くの寺で営まれ、参列者が園児らを慰める「稚護地蔵尊」に手を合わせた。事故で6歳だった長女を亡くし遺族の世話役を務めている藤井昌敏さん(85)は「小学校に行くのを楽しみにしていた娘のことは忘れられない。50年たっても子どもの列に車が突っ込む事故はなくならず、知らせを聞く度に悲しくなる」と語った。
豊田署は、事故が風化しないよう式典に先立ち、現場付近で速度違反などの取り締まりを実施し、交通ルールの徹底を指導した。
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