日本人の「教育改革論」がいつも的外れなワケ

ルターの似顔絵イラスト
ライブドアニュースさま
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オックスフォード大学で日本学を専攻、ゴールドマン・サックスで日本経済の「伝説のアナリスト」として名をはせたデービッド・アトキンソン氏。退職後も日本経済の研究を続け、『新・観光立国論』『新・生産性立国論』など、日本を救う数々の提言を行ってきた彼が、ついにたどり着いた日本の生存戦略をまとめた『日本人の勝算』が刊行された。
人口減少と高齢化という未曾有の危機を前に、日本人はどう戦えばいいのか。本連載では、アトキンソン氏の分析を紹介していく。
「子どもの教育」が日本の最優先課題なのか
テレビをつけるたびに、「子どもの教育がおかしい」「今の日本経済が低迷している原因の根本は学校教育にある」などという話が耳に入ってきます。

経済同友会でも経団連でも、またはほかの会合の座談会でも、必ず出るのが教育制度の議論と批判めいた話です。

一方で、「将来の日本を背負う子どもをどう教育していくべきか」という、教育改革についての議論も盛んに行われています。その裏には、教育を改革し、その新しい教育を受けた次世代ならば、日本の将来を劇的によくしてくれるのではないかという、願いにも似た期待が垣間見られます。

実は、以前から何度も教育をテーマとして取り上げてほしいとリクエストを受けてきましたが、これまではお受けするのをあえて避けてきました。それには明確な理由がありました。

それは私自身、日本の教育制度が日本経済の衰退の主因であるという考えには、疑問を持っているからです。

理由は2つあります。1つは、そもそも言われるほど日本の教育が悪いのか、悪者に見えるだけではないのかという疑問です。もう1つは、そもそも日本の教育の問題点は、子どもの教育ではなく成人の教育にあるのではないか。要するに、人生100年時代の日本で、教育の対象が間違えて議論されているのではないかという疑問です。

私が子どもの頃、イギリス経済はどん底の状態にありました。かつて大英帝国と呼ばれた大国も、第二次世界大戦後、輸出の機会が次々に減っていき、戦前の常識が通用しなくなっていったのにもかかわらず、政治も企業も労働習慣もなかなか変革できなかったのが衰退の理由です。

その当時、イギリスでは経済衰退の犯人探しが盛んに行われました。国民性、教育、政治、労働者の質と、なにもかもが犯人にされ、もうなにもかもがダメだという諦めムードが蔓延していきました。しかし、「これさえ変えればよくなる」という提言もあふれていました。今の日本とまったく同じです。

最終的には、サッチャー首相が中心となって大改革が断行され、経済は好転し始めました。マイナス方向に向かっていたイギリスの経済が、プラスの方向に動き出したのです

面白いことに、イギリス経済衰退の真犯人だと言われたにもかかわらず、変わらず放置されていた多くのことが「改善した」と言われるようになりました。結局は「真犯人」などではなかったのだとつくづく感じたのを、今も覚えています。

このイギリスの経験からすると、経済がダメだから教育がダメと言われるのか、教育がダメだから経済もダメになっているかという因果関係をしっかりと検証する必要があります。しかし、今の教育改革論は、いかにも日本的な感情論、感覚論にすぎない可能性が高いのです。

経済が悪いと何でもダメに見える
年金問題を例にとって説明しましょう。

今の日本では年金制度が崩壊寸前だから、改革しなくてはいけないという意見をよく耳にします。今の年金制度は制度として健全ではないので、制度自体を変えるべきだという考え方が、日本では多数派ではないかと思います。

「健全ではないので、支出を抑えるべき」と主張する人は、年金の支給制度を変えるべきと言います。一方、年金の収入を充実させるべきだという人もいれば、運用を変えるべきだという人もいます。

しかし、分析をしてみると、年金制度の健全性と経済の健全性との間には、非常に強い関係があることがわかります。なかなか芳しくない日本経済の下、日本の年金が健全な状態にあるはずもないのです。

年金制度の健全性は制度の問題ではなく、経済の健全性次第だという分析ができるのであれば、年金制度をいじる前に、大元の経済を改善させていけば、制度自体は変えなくてもすみます。または、経済が改善しない場合に必要とされる改革より、軽く済むことも十分考えられます。

要するに、年金制度そのものに問題の本質・根本があるのか、それとも、より根本的な問題がほかにあるのかを考えるべきなのです。

先ほども述べたように、私は日本の教育制度が日本経済の衰退の主因なのか、甚だ疑問に感じています。というのは、私の分析では、日本経済の最大の問題点は、規模の経済が効かない極めて小さい企業で働く労働人口の割合が高すぎることで、教育云々は少なくても主要因ではない可能性が高いからです。

日本の教育論は「対象」を間違えている
一方、『日本人の勝算』を書いているときに、日本の教育の問題についてある発見をしました。

確かに、今の日本の教育には問題があるのかもしれません。しかし、そもそも日本で論じられている教育論は、対象を間違えて進められているということが私の発見です。

前回の「企業に『社員教育を強制』するイギリスの思惑」でも説明したように、人口減少に対応するためには、日本は「高生産性・高所得」経済モデルに移行しなければなりません。そのためには、各企業に最先端技術を普及させることが重要です。新しい技術を導入するとなれば、それを使いこなすために、新たな社員の教育が必要になるのは当然のことです。

前回も紹介したように、社員教育と生産性との間には、極めて強い相関関係が認められます。

日本の場合、社員教育に関しての十分な研究データがないのですが、大変に残念な状況にあることが、専門家から指摘されています。

例えば、日本生産性本部は「日本の人材投資は、1990年代前半は約2.5兆円あったものが、年々減り続けており、2010年以降は約0.5兆円とピークの2割程度に低迷している。欧米諸国と比較しても、GDPに占める人材投資は著しく低い」という、学習院大学の宮川教授の分析を紹介しています。



高知工科大学の論文には、25歳以上の通学率は日本ではわずか2%で、OECDの平均である21.1%を大きく下回っていることが記載されています。

いずれの数字も、日本での「社会人教育」が諸外国に比べて、極めて遅れている事実を如実に物語っています。

このような状況が今後も続くようであれば、高生産性・高所得経済モデルへの移行はまず無理です。逆にいうと、このような状況が続いていることが、日本の生産性が低いまま一向に改善されず、新しい技術も普及しない1つの要因となっていると言えるでしょう。

先ほども指摘したように、社会人教育が進んでいないことは、日本の将来を考えると看過できない大問題です。

こういう話をすると、社員教育に注目して、直ちに是正すべきだという意見が沸き上がります。気持ちはわかりますが、私は、このことは問題の根幹ではないと解釈しています。

物事には原因と結果があります。日本における社会人教育がお寒い状況にあるのは、いわば結果です。経営者が生産性向上を追求していないのであれば、わざわざコストをかけて社員教育をする理由はありません。

日本にはあまりにも小さい企業がたくさんあり、そういった企業は最先端技術を導入できません。社員教育をするお金もないのですが、そもそも社員教育をする理由がないのです。

ですので、社員教育の問題を直接改善しようとしたところで、あまり大きな効果は期待できません。必要なのは経営者を生産性向上にコミットさせる政策です。これまで文部科学省がやってきた生涯教育に関する施策があまり効果が出なかった理由は、ここにあります。

要するに、日本では海外に比べて社員教育が充実していないという事実を基に、社員教育の充実を狙った施策を用意したとしても、それを使おうという経営者たちのインセンティブを高めないかぎり、利用されず無駄になってしまう可能性が高いのです。

日本政府が今まで行ってきた地方創生や中小企業政策、輸出政策などが、ことごとく空振りに終わっている最大の理由は、日本経済の衰退の原因をきちんと分析をしてこなかったことにあると思います。要因分析をしないままで、表面的な違いを見て講じた政策が、大きな効果をもたらすとは思えません。

教育は「人口動態」を無視して語れない
しかし、生産性向上にコミットするなら、どう考えるべきでしょうか。日本の教育を考えるときに、決して見逃してはいけないのは人口動態の変化です。

日本で教育について論じる場合、「子どもの教育」を論じることがほとんどなのではないでしょうか。今の日本では「教育とは22歳までに受けるもの」というのが、圧倒的に支配的な考え方になっているように感じます。

確かに1950年代は国民の55%が24歳以下でした。当時は今に比べると寿命が短かっただけではなく、子どもの絶対数が非常に多かったので、彼らにしっかりとした教育を施しておけば、そう遠くない将来、成長した彼らが企業の過半数を占めるようになり、同時に社会に大きな貢献をもたらす存在になるのです。ですので、彼らをしっかり教育するために知恵を絞るのは、非常に合理的であったと言えるのです。

しかし、2030年には、国民の82%が25歳以上になります。少子化によって子どもの数が減り、今後は、いつまでたっても若い人が人口の過半数を占めることはありません。さらに寿命が延びるのに伴い、仕事から引退する年齢は年々高くなっていきます。つまり、学校教育を受け終えてから、引退するまでの期間がいままでよりずっと長くなるのです。

子どもの教育の充実が重要なのは私も決して否定はしません。しかし、先ほども述べたとおり、全国民の82%以上が25歳以上になるのです。25歳以上の人を対象とした教育のほうが、わずか18%しかいない25歳未満の教育より、ずっと重要になるのは当然でしょう。

日本の教育のうち、幼児教育は世界的にも高く評価されています。一方、高校、大学と高等教育になればなるほど評価が下がっているのが現実です。World Economic Forumの評価では、基礎教育は世界第7位ですが、高等教育以上のランキングは第23位まで下がります。

社会人教育になるとさらに評価は低く、マネジメント・スクールのランキングとなると、第59位まで大きく下がります。

教育のレベルと生産性の相関を測ると、先進国になればなるほど、とくに大学以上の評価と生産性の水準の相関が強くなります。当たり前といえば当たり前の話なのですが、日本ではほとんど意識されていないのも事実です。

日本の教育は、言われたことを忠実に守る、いわば兵隊を作ることに関しては、すばらしい成績を出していますが、リーダー教育は非常に遅れています。

金融問題・文化財行政・観光戦略・生産性問題の関係で仕事をして感じるのですが、日本人のトップは知識を極めることは得意です。現状分析も徹底的にします。しかし、要因分析、予想、問題の本質を追求することは苦手です。というより、今までそういった分析を見たことがほとんどありません。報告書はどの国の誰よりも詳しい。しかし、示唆に欠けるのです。

この状況を打破するために、最も必要なのは大学レベル以上の教育機関と教育内容の改革でしょう。リーダー教育は大学教育の基本ですし、知識を積む高校までの教育を発展させて、示唆を探る教育こそ、大学教育の使命のはずだからです。

とくに、大学は青年だけのものではなく、成人した人が何度も通学する時期があるように改革する必要があります。先日、オックスフォード大学に通っている学生のうち、すでに1回大学を卒業している再就学者の比率が50%を超えたと聞き、びっくりしました。

何度も繰り返し述べているように、日本は人口減少と高齢化が世界一進む国です。この大変な状況を乗り越えるには、日本は世界一の「社員教育大国」にならなくてはいけないのです。

しかし、日本の教育の現状を見ると、まるで1950年代で時間が止まったように見えます。このことも『日本人の勝算』を書いている間に気づいた事実です。

すべては「人口減少への対応」に帰結する
さて、今回で本連載は第11回目を迎えました。この連載では人口が激減する今後の日本が取り組むべきさまざまな問題をテーマに取り上げてきました。

小さい企業に勤める人が多い問題、技術の普及が進まない問題、輸出が少なすぎる問題、そして今回は教育の対象が間違っている問題を取り上げました。

これら一つひとつのテーマを見ると、それぞれが独立しているように見えるかもしれませんが、実はすべてつながっています。

日本経済の仕組みが人口増加を前提として出来上がっており、人口減少の時代には相応しくなくなっているので、大改革が必要不可欠だ。

どのテーマを掘り下げても、結局はこの結論に達するのです。

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