「どう育てるか」障害児と心通わせ40年…学童保育の「開拓者」


読売新聞オンライン


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 その施設からは毎日のように、子どものはしゃぐ声が聞こえてくる。自閉症や知的障害がある子を預かる「ゆうやけ子どもクラブ」。東京都小平市の住宅街にある建物2階に本部を構える。

 小学生から高校生までの約50人が、ここを含めた市内3か所で放課後を過ごす。スタッフとおしゃべりしたり、ダンスを踊ったり。その輪に加わる代表の村岡真治さん(62)は、障害がある子どもと関わって、もう40年になる。障害がある子どもの学童保育で「開拓者」と呼ばれる存在だ。


 42年前。教員を目指して入学した都内の大学で、先輩からボランティアに誘われた。一緒に訪ねた先は、市内の福祉作業所の一室。知的障害などがある4人の児童が走り回っていた。

 「遊んであげて」。先輩の指示で意思疎通を図ろうとしたが、視線が合わせられず、うまくいかない。次々と言葉をかける先輩を尻目に、様子を見守ることしかできなかった。

 何度か訪ねた時のこと。いつもガラス瓶を大事そうに抱えていた男の子に、手をつかまれて、引っ張られた。これまで、走り回るその子を追いかけることしかできておらず、驚いた。身を任せてみると、戸棚の前に連れて行かれ、置いてあったラジカセを指さした。

 取ってほしいという意味だった。「この子なりに僕を受け入れ、頼りにしてくれたんだ」。心を通い合わせるのは難しいと思い込んでいたことに気づいた。

 以来、通い詰めた。関われば関わるほど、子どもたちが日々成長していることがわかり、楽しくなった。卒業後、中学校の教員になったが、充実感を味わえず、退職して通っていた団体に舞い戻った。この団体が今のクラブにつながっていく。

 当時、障害を持つ子どもは外へ出しにくいという雰囲気があると感じていた。子どもを託してくれた親からも「今は成長して帰ってきてくれると楽しみだが、最初はためらいがあった」と聞かされた。

 1997年に今の場所に落ち着くまでは、活動場所が見つからず、子どもを公園でみることもあった。子どもたちが悪気なく、近所の子が食べている菓子をとると、親から「こんな子どもを公園に連れてくるんじゃないよ」とどなられたことも何度かあった。

 活動場所を借りられても、騒がしさもあって、周囲から「何をやっているのか」と奇異な目でみられた。「わかってもらうには、行動しかない」。日々の活動を文書にまとめ、周囲の家々のポストに投函(とうかん)してまわった。すると、子どもたちをみて、声をかけてくれる人が現れた。子どもたちも近所の人たちに会うと、笑顔が出るようになった。

 村岡さんらの活動をきっけに、障害者の学童保育に取り組む団体が増え、放課後等デイサービス事業として制度化もされた。

 今年3月、相模原市の知的障害者福祉施設「津久井やまゆり園」で2016年に起きた殺傷事件の被告に、死刑判決が言い渡された。元職員だった被告は「意思疎通のとれない重度障害者は人間ではない」と差別的な動機を語った。

 村岡さんは「到底理解できない」と思いながらも、「障害者と長く関わった経験がなければ、頭でわかっていても、実際にうまく関わっていくのは難しい」とも考える。だからこそ、自分たちの体験を発信していく必要を感じ、書籍の出版などにも力を入れる。

 「障害があるから、で済まさずに、どうしたら育っていくのか探っていくことが大切」。村岡さんは心がけていることを記者に教えてくれた。そのまなざしは常に、子ども自身に注がれている。(鈴木慎平)


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