フードバンクを子どもに教える社会は正しいか? 英国の貧困を考える


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自分の生活に手一杯だった2020年が過ぎ、2021年も“今までどおり”とはほど遠い幕開けとなり、節分を過ぎると“今までどおり”ってなんだっけ? とすら思いつつある筆者。相変わらず半径数キロの生活圏を徘徊するだけの毎日ですが、町を歩くたびに「閉店」の貼り紙が増えていることに気づきます。接客業に限らず“今までどおり”ならあったはずの仕事がない、そんな状況に置かれている知人も少なくありません。イギリス在住のライター・ブレイディみかこさんの時事エッセイ集『ブロークン・ブリテンに聞け』でハッとさせられたのは、イギリスの「子どもの貧困」について綴られたひとつのエッセイ。コロナ禍のいま、決して“遠い海外の出来事”では片づけられないその内容について、本書から一部抜粋してご紹介します。

 「ほのぼのと暖かくてやさしい、絶望的に間違っている本を読んだ」
そんな言葉から始まるエッセイの中でブレイディみかこさんが取り上げるのは、『It’s a No-Money Day(今日はお金がない日)』という一冊の絵本。大人向けではなく、保育園や家庭、4~5歳児が通う小学校のレセプションクラスで使われることを念頭に作られたというこの本は、一見すると母と娘の“ほっこり”する物語のようにも見えます。しかし、実際に描かれているのは、厳しい貧困にあえぐ“イギリス社会のいま”だと言います。

 表紙の扉を開けると、見開きには棚に並べられた食品や日用雑貨のイラストが描かれている。一般家庭の棚にしては大き過ぎるから、雑貨屋の棚だと思う人もいるかもしれない。だが、見たことのある人にはすぐわかる。これは、フードバンクの棚だ。缶詰や瓶に入った食料、シリアルやポーリッジの箱、シャンプーなどが並んだこの棚は、今日、明日の食費にも事欠く状況に陥った人々が食料の配給を受ける場所にある。

生活困窮者を支援するための「フードバンク」。棚に食品や商品がずらりと並ぶ光景とは対照的に、母子が暮らす家にある食べ物らしきものはシリアルの空箱とパンが1枚だけ。絵本の中では、母親が「お腹が空いていない」と嘘をつき、最後の1枚のトーストを娘に食べさせるシーンが描かれます。表紙で幸せそうにほほえむ母子は、働けど働けど貧困から抜け出すことができない、シングルマザーと子どもの姿だったのです。

『It’s a No-Money Day』は、英国で初めてフードバンクをテーマにした絵本だと言われている。とうとうフードバンクは、新聞やネットのニュースの見出しを飾るものから、保育園や小学校や家庭で子どもに読み聞かせ、教えるものになった。何かが臨界点に達して、あってはならない水蒸気爆発がーー不気味なことに破裂音ひとつ立てずにーー、英国社会に起き始めた。

イギリスがなぜ、この絵本に描かれているような貧困家庭を生み出すことになったのか、そして増え続ける子どもの貧困について、本書では次のように教えてくれます。

 わたしは1996年から英国に住んでいるが、1997年に政権を取ったトニー・ブレア率いる労働党政権には、子どもの貧困は社会の「悪」であり、撲滅すべきものであるという認識があった。だから、実際に、彼らは子どもの貧困をなくすことを政策の柱とし、包括的な貧困撲滅の政策を打ち出した。が、2010年に政権を奪い返した保守党が緊縮財政に舵を切り、福祉、教育、医療などへの財政支出を大幅に削った結果、子どもの貧困が凄まじい勢いで増加した。

現在、英国では400万人を超える子どもが貧困の状態にあると言われている。これは、一クラス30人のうち、9人の子どもが貧困家庭で育っているということだ。10年前の時点で、チャリティー団体のトラッセル・トラストは英国全土で57ヵ所のフードバンクを運営し、年間1万4000のフード・パーセル(最低3日分の食料の詰め合わせ)を子どもたちに提供していた。しかし、昨年(2019年)の段階でフードバンクの数は428ヵ所になり、年間約58万のフード・パーセルを子どもたちに配布するようになった。

 フードバンクの急速な増加に伴い、イギリスの大手スーパーでは、フードバンクへの寄付に適した商品にカラフルなポップをつけ、その商品を購入したらそのまま慈善団体に寄付できるよう、店内にコーナーまで設けているそう。ほのぼのとした絵本に、スーパーのカラフルなポップ。ブレイディみかこさんは、フードバンクの存在がイギリスの日常、さらに子どもたちにまで、足音も立てずにじわりと浸透していくことへの違和感を綴ります。そしてひとつの映画を取り上げ、本当の貧困とはなにかを問いかけます。

ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』にも、体を悪くして働けなくなった高齢の失業者と、貧困で売春にまで追い込まれたシングルマザーがフードバンクを訪れる場面があった。何日もまともに食事していなかった母親は、フードバンクで棚にあった缶詰をわしづかみにして、我を失ったようにその場で貪り始めてしまう。

本当の貧困は、本当に食べられないということは、あのシーンだ。「お母さんはお腹が空いてないから。あなたが食べなさい」と最後のパンの一枚を子どもに食べさせる母親の裏には、ひとかけらの尊厳すら人間から奪い去るような、あの凄惨なシーンがある。

2021年という日本の現在地においても、貧困はもはや他人ごとではなく、いつ誰の身に降りかかってきてもおかしくない問題といえるかもしれません。そんな中でも自分ができることを考え、何らかの形で支援を行なっているという方も多いのではないでしょうか。しかし、ブレイディみかこさんは本書の中で、『わたしは、ダニエル・ブレイク』を撮ったケン・ローチ監督の、こんな言葉を引用します。

 同作が日本で公開されたとき、配給元を中心とする関係者たちが貧困者支援団体を助成するための「ダニエル・ブレイク基金」を立ち上げ、劇場公開鑑賞料の一部が寄付された。これを受け、ケン・ローチ監督は、「ひとつだけ付け加えたいのは、ともかくチャリティーは一時的であるべきだということ。ともすると、チャリティーというものは不公正を隠してしまいがちだが、むしろ不公正の是正こそが最終目的であることを忘れてはならない」という声明を発表した。

つまり、フードバンクや慈善事業は、貧困者を一時的に助けるための緊急措置として存在すべきなのであり、自分が映画を撮り続ける目的は、人助けを推奨するためではなく、貧困を生み出す政治や制度そのものを変えることなのだと強調したのである。

 
不安が蔓延するコロナ禍でも「お互い様」や「助け合い」の精神が機能する日本。そんな環境に甘んじていた筆者はブレイディみかこさんのエッセイを通じ、“フードバンクが当たり前でない社会”を作るのは私たち大人なのだ、と自覚すると同時に、相互扶助の精神を美化し、その場しのぎの寄付や賛同に自己満足し、政治や社会のしくみに対して“事なかれ主義の傍観者”となっていた浅はかな自分を、猛省せずにはいられませんでした。

ブレイディみかこさんが鋭い視点と本音でイギリス社会の実情に切り込む本書は、「日本はどうか? そして私はどうか?」について、自分ごととして考える大きなきっかけを与えてくれる一冊でもあります。

※ご紹介したエッセイは「群像」2020年1月号に掲載されたものです。

著者プロフィール
ブレイディみかこさん:ライター・コラムニスト。1965年福岡市生まれ。福岡県立修猷館高校卒。音楽好きが高じてアルバイトと渡英を繰り返し、1996年から英国ブライトン在住。ロンドンの日系企業で数年間勤務したのち英国で保育士資格を取得、「最底辺保育所」で働きながらライター活動を開始。『子どもたちの階級闘争――ブロークン・ブリテンの無料託児所から』(みすず書房)、『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮社)など著書多数。


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