千葉日報
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2019年10月25日、千葉県の広い範囲を襲った「房総豪雨」。県の集計によると災害関連死を含めて12人が亡くなった。土砂崩れによる住宅全壊は34棟で、半壊・一部損壊は計4081棟に及んだ。
九十九里浜の中央部に位置する山武市。山間部の同市雨坪にある市立日向幼稚園では同日の昼間から夜に掛け、豪雨や近くを流れる作田川の氾濫により道路が冠水し、園児57人、職員7人が孤立。子どもたちにいつ会えるのか―。保護者たちが不安を募らせる中、意外にも園内は大きくパニックになるようなことはなく、奇しくも地元に配備されていた当時最新鋭の中型水陸両用車に無事救出された。救出を待つ間、園が心掛けたのは、とにかく「普段通り」に過ごすこと。当時の関係者の状況や判断を追った。
(東金支局 森大輔)
送迎バス近づけず
19年10月25日のあの日。台風21号や低気圧の温かく湿った空気が流れ込み、東日本の太平洋側で強い雨が降った。房総半島に大きな被害をもたらした、いわゆる「房総豪雨」だ。
作田川は九十九里平野のほぼ中央部を流れ、太平洋にそそぐ二級河川。JR総武本線の日向駅から徒歩10分ほどの日向幼稚園は、同川の上流部、同市雨坪の海抜約30メートルの高台にある。昨春に統合して他の地域に移転した市立日向小学校と同じ敷地内だった。
豪雨当時、研修で園に不在だった園長に代わり現場職員のトップを務めたのは、当時副園長だった山下利恵さん(53)=現在、市立なるとうこども園副園長=。「だんだんと周囲が暗くなって、子どもたちは心細くなって…。救助が終わった時は本当にほっとした」と、あの日を思い返す。
山下さんは当日の午前中にあったプールの授業を終え、正午過ぎに自家用車で幼稚園に戻った。園がある高台下の道路を見て、「水はたまっているが、普通に車は通れるな」と当初は思った。
だが、時間が経つにつれて状況は悪化した。
雨は激しさを増し、道路の状況を踏まえて通常は午後3時の降園時間を30分早め、同2時半とした。だが「バスが行ける状態ではない」。園児が普段利用する送迎バスが道路の冠水で近づけないという連絡が幼稚園に入った。
水位が膝ぐらいの道路を通って園児を連れて帰った保護者もいた。が、多くの保護者は園にたどり着けない。離れた場所に車を置き、胸ほどの高さがある水をかき分けて園に着いた父親がいたが、到着すると「今の道を通り、子どもを抱っこして連れ帰る自信がありません」と話した。結局、父親は一人で戻り、子どもは幼稚園に留め置いた。
園は送迎を危険と判断。午後3時ごろに「子どもは園で預かり、保護者は自宅待機をお願いする」と保護者にメールを送った。
日本に2台の先鋭車両が出動
作田川の氾濫で幼稚園前の道路はさらに冠水し、最大で水深1・5メートルほどになった。園は市子育て支援課に冠水状況を報告。市災害対策本部から救助要請を受けた山武郡市広域行政組合消防本部は中型水陸両用車を出動させた。
同車両はタイヤの代わりにキャタピラ、後方には二つのスクリューを持ち、不整地や泥の中、水上を走ることができる。愛称は「赤い砦(とりで)」を意味する「レッド・バスティオン」。当時、日本に2台しかなかった先鋭車両は、東日本大震災で津波被害を受けた沿岸部と河川氾濫の危険がある丘陵地帯を有し、臨機応変に救助に臨まなければならないこの地域特有の事情から、国から配備されていた。
搬送車に載った中型水陸両用車が現場付近に到達したのは午後6時過ぎ。
運転を担当した新堀剛章消防司令補(39)は「普通以上の緊張感があった」と振り返る。同年6月に配備されてから、土砂災害を想定して斜面を登ったり、調整池で車を浮かせて救出する訓練を行ってきたが、新堀司令補は「訓練とは全く違った」。実際の災害現場では何が浮遊し、水底にあるか分からない。「初めての救助活動。少しの動きでも振動があり、乗せるのは子ども。安全を心掛けた」
中型水陸両用車は幼稚園に到着して午後6時半から救助活動を始めた。園児は年少、年中、年長の3学年に分かれ、低学年から水陸両用車の荷台に乗せることにした。8回に分けて輸送し、必ず付き添いの大人も乗るようにした。荷台の高さは2メートルほどで、高さに不安がって怖がる園児もいたが、「すごい」「乗りたい」と無邪気に話す子どももいた。
救助活動が終了したのは午後9時9分。到着から約3時間がたっていた。けが人はなく、新堀司令補は「とにかくほっとした」。山下さんは「みんなを無事に帰らせることができて本当に良かった」と思い返す。日本で中型水陸両用車が救援活動を行った初の事例だった。
大人の不安な顔を見せない
園児の被災時に幼稚園が心掛けたことは何か。「子どもを不安にさせないことに注意した」と山下さんは強調する。
幼稚園は高台にあり、建物に被害はなかった。水道や電気、ガスも普段通りに使えた。しかし、本来の降園時間である午後3時から時が経ち、夕方になって周囲が暗くなり始めると、児童は敏感に普段とは違う雰囲気を察知した。
園は小さな体育館ほどの広さがある遊戯室に園児全員を集め、「ここはブロック遊びの場所」「ここは工作ができる場所」と園児に話し、いつも通りの遊びをさせた。
各教室で待たせず一つの場所に集めたのは、全員で賑やかな状況を作るため。ブロックや折り紙で遊ばせて気を紛らわせたほか、「大きなかぶ」などの童話を集めたDVDを児童に鑑賞させた。
保護者の迎えが来ないことや空腹で不安がる子どもも出てきた。泣き出す子どももいた。山下さんたちは「もうすぐ迎えが来るからね」「おうちの人が待っててくれているからね」と声を掛けたり、備蓄していた非常食のアルファ米でおにぎりを作って食べさせた。
職員も当然不安だったが、表情には出さなかった。「不安そうな顔をしないようにしよう」。職員同士で心掛けたのは「普段通り」の保育。約30年間、保育に携わる山下さんは「子どもたちはすぐに大人の顔色を察する。職員が不安そうにすると、子どもは『先生たち、どうしたの』と思う」と説明する。一方で、山下さんはだんだんと怖がる子どもが出てくることを想定し、「子どもの変化を注意して見てください」と職員に呼び掛けた。
山下さんは東日本大震災の際も園児の避難対応を経験した。地震と比較し、豪雨での孤立は「周りの物が倒れる地震と違い、目に見えて危険が迫っている状況ではない」。だが、段々と不安が園児を襲いかねない。細やかに不安の芽を摘んでいくことが重要だった。
「車中死」防止へ対策
豪雨後、作田川の水位を確認する市のカメラを日向幼稚園の職員が確認できるようにする防災対策を始めた。
房総豪雨の県内の死者のうち、約半数は車での移動中に水没したり流される「車中死」で、県内の他の自治体では子どもの送迎に向かう途中に車が濁流に襲われて亡くなる男性もいた。市消防防災課によると、園児や保護者の安全を確保するため、周囲が危険な状態になれば子どもを留まらせて保護者の送迎を抑制するよう同幼稚園と話し合ったという。
日向幼稚園には豪雨後、防災教育とお礼を兼ねて中型水陸両用車が訪れた。「将来は消防士になりたい」と話す園児もいた。山下さんは「怖がらせないように一人ずつ子どもたちに声を掛けて荷台に載せてくれた」と消防隊員に感謝した。
※この記事は千葉日報とYahoo!ニュースによる共同連携企画です。
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