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岸田政権の「異次元の少子化対策」は相も変わらぬ経済支援が中心で、その効果は甚だ怪しいところがある。そんなものに頼るよりは、まずここの保育に学ぶべきではないのか。ここでまた子育てをしたいから、もう一人子供を産む――そんな保育園が熊本にあるのだ。
いっとき待機児童問題で大きくクローズアップされた日本の保育園業界は、現在、少子化によって倒産や買収が相次いでいる。生き残りをかけて、極端な英才教育を掲げたりする園が出てくるなど迷走状態にあるが、その中で、全国の保育園や大学の関係者が次々と視察に訪れるこども園が熊本県にある。「やまなみこども園」(定員130名)だ。 0歳~5歳児を受け入れるこの施設は、職員と保護者が一体となって子育てをするスタイルで知られている。保護者からの信頼は厚く、海外駐在員が一時帰国する数カ月だけでも子供を預けさせてくれないか、と頼みにくることすらある。 興味深いのは、保護者は園との絆や信頼感から子育てが楽しくなり、多産になる傾向があることだ。日本の合計特殊出生率が過去最低の1.26を記録する中、この園の保護者は3人、4人が当たり前、中には5人以上の子供を持つ者もいるという。 ある保護者はこう言ったそうだ。 「やまなみ(こども園)と長くかかわっていたいので子供を作りました!」 “もう一人産みたくなる保育”とは何なのか。園と保護者と子供の温かなつながりを追ってみたい。
保護者によるサワラの解体ショー
今年の夏、筆者がやまなみこども園を訪れた時、近所にある系列の企業主導型保育園「ポランのひろば」(定員100名)では、雨が降る中庭で全長1メートル以上もあるサワラの解体ショーが行われていた。鮮魚店を経営する保護者の女性がさばいていたのだ。 子供たちは自分の背丈ほどもあるサワラを前に、「これどっから来たの?」「どうやって釣ったの?」と矢継早に質問を投げかける。好奇心が抑えきれず、触ろうとしたり、飛び跳ねたりする子もいる。いざ解体が始まると、子供たちは目と口を開いて前へ前へとにじり寄ってくる。 この日さばかれたサワラは、給食のメニューに加わることになった。筆者が調理室で切り身の試食をしていると、子供たちが集ってきて次々としゃべりかけてきた。 「ねえねえ、魚ってどうしたら魚の味になるの?」 「魚がタコを食べたらタコの味になる? タコ焼きみたい?」 「魚ってどうやって子供としゃべってるの?」 「魚同士でぶつかったらヤバいんだよ。だって骨が細いからすぐに折れちゃうもん」
「言葉やアイデアが止めどなく出てくる」
次々と湧き出る子供たちの独創的な発想に驚いていたら、隣にいた先生が話しかけてきた。 「子供って新しいものを見て心が刺激されると、たくさんの言葉やアイデアが止めどなく出てくるんです。うちの園では、私たち職員だけじゃなく、保護者や地域の方がそうやって子供を刺激してくれる。今回のサワラの解体も、保護者の発案なんですよ」 保護者の方から「子供たちに見せたい」と言って、自前で用意したサワラを運び込んだのだという。 保護者が一方的に園に保育を委託するのではなく、保護者を含めた地域のあらゆる人たちが子供とかかわり、感動を共にし、成長していくのが、この園の特色なのだ。
主体性を刺激する
現在、やまなみこども園は、NPO法人「ひかるつめくさ」のもとで、「ポランのひろば」と小規模保育事業A型「ころぼっくる」(定員19名)とともに運営されている。 始まりは、1976年に初代園長の山並道枝(76)が知人と古いアパートを改装してオープンした認可外保育園だった。当時の熊本では、乳児保育や長時間保育の谷間を、認可外保育園が埋めていた。 開園して間もない頃、道枝は当時主流だった「設定保育(一斉保育、計画保育)」と呼ばれる保育を行っていた。これをすれば子供はこう成長するという計画を職員あらかじめ立て、それに準拠して一斉に何かをやらせる方法だ。だが、園の責任者として子供たちと向き合っているうちに、だんだんとこれでは限界があるのではないかと感じるようになった。 そこで道枝は日本全国の保育園のいろんな取り組みを勉強し、大人が教え込むのではなく、自然や音楽や遊びの中で主体性を刺激し、成長を促す保育へとやり方を変えていった。 散歩の途中で花の蜜をなめながら虫を追いかける、ピアノに合わせて全身で自分を表現する、先生や保護者とともに田んぼで泥だらけになるような共有体験をする……。そうした経験を通じて、子供は見違えるように生き生きとし始めた。
保護者が園の運営資金を補うためにバザー
道枝は子供のために良いと思えば、決められている数以上の職員を雇い、子供たちには心が震えるような新しい経験を次々にさせた。それが子供たちの成長に良い影響を与えるのは明らかだったが、国から補助金をもらわずに理想を追い求めるのは容易なことではなかった。そんな園を支えてくれたのが、道枝の志に賛同する保護者たちだった。 彼らは保護者会を結成して毎週のように集まり、夜に酒を酌み交わしながら親睦を深めた。そして園の運営資金を補うためにバザーを開いて毎年100万円以上のお金を集めたり、ボランティアとして日々の業務の手伝いをしたり、所有する畑や森を子供たちのために提供したりして運営を後押しした。このようにして、保護者が園の職員と一体になって子供を育てる仕組みが出来上がったのである。
親子一体化する行事
二十数年前、そんな園と保護者の関係を象徴する出来事があった。台風によって旧園舎が大きな被害を受け、閉園寸前まで追いつめられた。すると、保護者たちが団結して園を継続させようと、物販や募金によって2年で1千万円もの資金を作った。そしてそれをもとに自分たちが保証人となって銀行から8千万円の融資を受け、新園舎を建設したのだ。 こうした園と保護者の強く密接な関係は今も脈々と受け継がれているという。道枝は次のように語る。 「保育の場は、職員だけのものではなく、保護者を含めたみんなのものだと考えています。全員で“寄ってたかって”子育てをする場所であり、そこで保護者はできることは喜んで引き受け、かかわっていく。バザー、夕涼み会、遠足、キャンプといった恒例行事はもちろん、日々の清掃や修繕、それに今回見ていただいたサワラの解体のような自発的なミニイベントなど、何から何まで力になってくれているのです」
親たちの「第二の青春」
これらの園の活動において、保護者たちは「第二の青春」を楽しむかのように積極的に参加する。 夏の夜に行われる夕涼み会は、子供向けの夏祭りというより、親子みんなが大はしゃぎして感動するための、大学の文化祭と地域の祭りを掛け合わせたようなイベントだ。母親たちは何週間も前から会の催しで使うコスプレ衣装を用意し、バンドを組んだり、ダンスを練習したりする。そして「NO MUSIC NO YMNM(YAMANAMI)」の看板を掲げ、手作りでステージを設置する。 当日、ステージに立った母親たちがカツラと衣装に身を包んでリズミカルな歌を歌うと、客席の父親や子供は胸を高鳴らせて、ビールやジュースを持ったまま一緒になって踊り始めた。きょうだいの卒園生や、おんぶされた赤ん坊も一緒だ。途中で土砂降りの雨が降っても、親子はずぶ濡れになって歓声を上げ、はじけんばかりの笑顔でアンコールを叫びつづける。 こうした光景を目の当たりにすると、親が子供と同じ目線で笑い、喜び、幸せをかみしめているのがわかる。親は子育てを通してまさに第二の青春を味わっている。これをしたいから園の活動に深くかかわろうとするのだ。 また、こうした人間関係は、自然とプライベートにも広がっていく。複数の家族で旅行へ行くとか、バーベキューをするとか、忙しい時に子供を預け合うといったことが日常的に行われるのだ。 道枝は言う。 「保護者みんなが大きな家族みたいな関係なんです。子育ての一部を園に任せるとか、各家庭がそれぞれ子育てをしているというより、やまなみこども園を中心にみんなで子供を見守り、育て、楽しんでいるのです」
「大きな家族の一員になったような安心感」
筆者が元保護者に話を聞いた時も、そのことを強く感じた。 この家庭では、父親が単身赴任をしていたため、母親が実家の用事等で家を離れなければならない時は、友達の家族が子供たちを数日間家に泊まらせてくれたという。また、別の家族が、子供たちを旅行へ連れて行ったこともあったらしい。その元保護者は次のように言っていた。 「やまなみにいると、大きな家族の一員になったような安心感があるんです。自分たちだけですべてを背負うのではなく、みんなで助け合って支え合って子育てをしていける。だから、何が起きても大丈夫という安心感があります」
「園のお友達」というより「きょうだい」
もちろん、子供たち同士の距離も非常に近い。午後4時~6時は子供たちが親の迎えを待ちながら自由に過ごす時間だ。この時、筆者が子供たちと遊んでいると、「今度××君と旅行へ行くんだ」とか、「〇〇ちゃんのお兄ちゃんにカードゲームを教えてもらってるの」という話が次々と出てくる。子供同士は「園のお友達」というより「きょうだい」のような関係になっているのだろう。 子供を通わせるため、園の近くに多くの保護者が引っ越してくるので、多様なつながりができ、「やまなみ経済圏」と呼ばれるコミュニティーが生まれつつあるほどだ。 保護者が多産になるのは、そうしたことが影響している、と道枝は語る。 「うちの園にいれば、保護者の方々は第二の青春を謳歌しながら、他の家族と助け合って子育てができます。それがすごく楽しくて安心だから、なかなか離れたくなくなるし、もっと子供を産んでもいいかなって気持ちになる。それで第3子、第4子とたくさん子供を作って、中には10年以上も園の保護者としてかかわる人もいます」 子供の卒園後に、職員として残る保護者も少なくない。園の方から、スタッフとして働かないかと打診されるのだ。
「みんなで育てるのって、こんなに楽しいんだ」
その一人が職員の小澄美幸(45)だ。小澄は体育教員などいくつかの仕事をしながら、2人の子供を園に通わせていた。もとは別の園だったが、やまなみこども園の保育の理念に共感して転園させたところ、子供は初日から感動し、「楽しい!」と心を躍らせたそうだ。 そんな小澄が園の職員になったのは5年ほど前のことだ。園が、運動神経に秀でて、子供好きな彼女に声をかけ、「うちで働かないか」と誘ったのだ。小澄はその時の心境を次のように語る。 「ここには保護者から職員になった先生方もたくさんいますし、何より園での楽しい思い出があったので、もう一度こことかかわりたいという気持ちで働かせてもらうことにしました。今はここが居場所という気持ちです。うちの子たちも私が働き出したことでまた来られるようになって喜んでいます」 小澄が語る「園での楽しい思い出」の一つは、行事への参加体験だ。子供を入園させた当初は、行事の多さや他の保護者との距離の近さに驚いたが、すぐにそれは安心へと変わった。先生、保護者、子供などみんなが親身になって付き合い、時には温かく本音で叱ってくれることもある。だから、強制されているわけではないのに、自分の方から園との付き合いを深めていくようになる。 小澄は言う。 「みんなで見て、みんなで育てるのって、こんなに楽しいんだって思いました。それは他の親御さんも同じで、たくさん子供を作るだけでなく、園の近くに引っ越してきたり、子供たちを大勢乗せて出かけられるワゴン車を購入したりする人もいるんです」
園の中にいると障害が目立たない
今、小澄が見ている子供たちの保護者もまた、自分と同じく園とのかかわりを心から楽しんでいるように感じるという。行事などで接する度に、昔の自分を見ているみたいな気持ちになるそうだ。 園で働いてみて印象的だったのが、子供たちの発達障害児への接し方だ。やまなみこども園は系列の園と合わせて250人近い子供を受け入れており、中には発達障害と診断された子供もいる。しかし、園の中にいると障害が目立たないという。 小澄は話す。 「うちの園にも発達障害のあるお子さんはいるのですが、その特性がほとんど障害にならないのです。保護者の方々がよその子にも温かく接してくれる上に、子供たちも細かなルールに縛られずに仲良く伸び伸びと過ごしています。その中で自然と力を合わせたり、相手のことを深く知ったりする。だから、何かの特性があったとしても、それが人間関係や何かをすることの邪魔になるということがほとんどないのです」 園や大人が子供たちを一律に管理し、そこから外れた行動を“欠点”と見なせば、それは障害として目に映る。だが、ここでは子供たちが自由闊達に過ごしている上に、きょうだいのようにお互いが足りないものを補い合って生活している。それゆえ、発達障害があっても悪い形で目立つことがまれなのだ。
「園を中心とした大きな家族」
筆者が初めて訪れた日は、子供たちが帰宅した午後7時から園で焼き肉パーティーが開かれた。学校帰りの小澄の子供たちも当たり前のようにやってきて、職員や関係者の輪の中に入り、次から次に焼かれる肉や野菜をつついた。 この時、子供たちがあたかも親戚に話すように部活や進路の話をする姿に「園を中心とした大きな家族」の光景を見た気がした。 では、ここで過ごす子供たちは園から何を得ているのか。次回は、園の活動と子供たちの姿を追ってみたい。
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